美しさを探して

美しい自然、美しい造形、美しい行為、美しい日本を探し求めて・・・

依存体質

 我々は多くの人に支えられて生きている。
生まれたときは母親から授乳してもらい大きくなり、親の保護のもとで教育を受けることができた。
 これらは一義に自立の為に受けてきた恩義なのです。では、どの時点で保護から自立すべきなのか?早い時期から少しづつ親離れの訓練をすることが大切と思う。
 最近では死亡届を出さずに親の年金を受け取り続けた輩もいる。働けるのに生活保護を受け、携帯電話代は払うが給食代は出さない親がいる。老いた親は子供たちが面倒を見るのが当然で、子供の将来を考えずに、いつまでも手元に引き留めておこうとする。
 依存体質が蔓延している。行政は他人の褌で人気取りのためばら撒きをする。電車内のアナウンスは過剰なほどに情報を流す。メーカーはクレーマーからのバリアのため製造者責任なにがしで取説に能書きを書き連ねていく。携帯電話で乗り換え案内を調べ、カーナビで道順を決める。サービス過剰の洪水の中、人は何をするのか、なにを求めているのか。
 戦後、多くの物を得てきたが、大きな大切なものを失った。何もかもが、親から、上司から、会社から、国から、他国から得られると思い込んでいる。空気も水も電気も道路も、平和さえも声を出せば手に入ると思っている。なんて情けない日本になってしまったのか。
 私は戦後生まれだが、貧しさを多少は知っている。いつも腹をすかし、欲しい絵本も買ってもらえず泣いたこともある。だがそれでも、それなりに楽しかったのだが、団塊世代の親は自分の子供にはそうさせたくないと思い与え過ぎてしまったのだろう。それは我々世代の責任である。物の豊かさと、便利さと効率を求めてきた。結果、社会全体が放出する事物、事柄に自由を奪われた。
民衆にある自由は目先の小さな損得の選択に限定された。我欲に支配され、大切な自由を奪われたことをき気付かずに・・・・
 依存体質からの脱却が真の自由の第一歩だと思う。