美しさを探して

美しい自然、美しい造形、美しい行為、美しい日本を探し求めて・・・

「美しい日本を再生しよう」

 平成23年3月11日大震災が発生しました。
追い打ちをかける原発事故。未曾有の大惨事が起きています。多くの犠牲者、行方不明者が出ています。私の親戚もその一人で、たまたまの出張先で惨事に合い亡くなってしまいました。TVに映し出される津波の威力とスピードは想像を絶し凄まじい限りです。人為は自然の猛威の前では全くの無力です。家が車が橋が道路が流されていく。運よく流されなかった人々は為す術もなく、呆然と眺めるだけで途方にくれています。避難生活をする人に食料も水も医薬品も燃料も十分に届かない中、人々はじっと耐えています。非情にも雪が降っています。死ぬも地獄、生きるも地獄とはまさにこのことです。自分には何もして上げられない無力さと歯がゆさを感ずるだけです。

 この状況のなかで救われるのは、日本民族の気質です。この様な大惨事にも係らず略奪も暴動も起きていません。計画停電で混乱する新橋駅の階段に通路を開けて整然と座る群衆の写真が、驚きと共に中国に紹介されましが、日本では普通なことです。自分も被災者なのに遠くの村に物資を運んだり、炊き出しの手伝いをする若者を見るとホッとします。機器も薬も無い所で献身的に診察をする医師。人出が確保できない中、増える患者に懸命に応える看護士。全く頭が下がります。助け合いの精神は弱者の戯言と言う輩は己を知らぬ傲慢なナルシストに過ぎません。

 「津波を利用して我欲を洗い落とす必要がある。・・・」などと言った石原都知事の発言を考えてみます。高度成長時代が過ぎると、実力主義とか効率主義の掛け声の下、いつの間にか判断基準が損得などと金銭の多寡だけに置き換わってしまいました。それは核家族化から無縁社会の流れと平行しています。拝金主義は殺伐とした社会を生んできています。そんなところを感じていたのか都知事は「日本人のアイデンティティーは我欲」との発言したのかも知れません。この発言はこの時期としては問題であったし、全ての日本人のアイデンティティーが我欲だけにあるわけではないと思います。ですが、主旨としては私には共感出来る発言でした。

 過去に、世界で一つだけしか民族が残ることが出来なくなったら、残すとしたら日本民族だとあるフランス人が言ったそうです。徐々にその資格を失いつつあります。品格を失いつつあるのです。原因は単純ではないでしょうが、大量消費ということにも一因があります。消費を煽る企業と、煽られて踊らされる消費者が居るからです。仏教で言う餓鬼界にとっぷり浸かり貪り合う様です。一人一人の我欲が増大し、それに比例してエネルギー消費量も増大した結果、原発を生んだのです。何重もの安全対策を施した原子炉でも想定外が起きました。どんなに安全対策を施しても人がやる事です。必ず綻びは出ます。使用済み核燃料をどんなに深く地底に埋めても、いずれ放射線漏れを起こす未来への負の遺産になるはずです。消費者が各自、自分も放射線もれを起こす遠因を作っている一人と考えるべきです。

 日本民族の美しさを取り戻したい。
大きいとか高いとかのプラス方向ではなく、ダウンサイズとか削除とかのマイナスベクトルにも活路や幸福があると考えるべきです。東京スカイツリーが話題になっていますが、歴史的に高いものを建造した後にその民族はその後滅びると言った人がいました。そう言う面もあると頭の片隅においておく必要があります。心の持ちようとして「葉隠」を読もうとまでは言いませんが「武士は食わねど高楊枝」くらいの心意気位は必要だと考えます。多くの物を得てもそれ程の満足感が持続するわけではありません。人との繋がり、共鳴とか共感の方が幸福感が得られます。心の持ち方一つで様々な小さな事柄からでも大きな喜びを得ることが可能なのです。

日本が美しい国と感じるのはそのような先達が住んでいたからです。
国土は狭く資源は無いが、多様な森と豊かな水があります。
春夏秋冬、それぞれ美しい季節が美しい景色を見せてくれます。
先人が開拓してくれた里山があります。田園があります。
桜が咲き、ウグイスが鳴き、めだかが泳ぎ、どじょうがもぐり、ホタルが飛べば他に何を求めようというのでしょうか?

津波に荒らされた土地に、家が建ち、田畑が出来、港が整備され、舟が係留されるのを切に願います。
人々が活き活きと働き、日々の平凡な日常を楽しみ、子供達が大きな声を出し元気に遊びまわる日を夢見ます。
人と人とが縁で繋がり、美しい自然と共生出来る、美しい日本を再び創れたらと願うばかりです。